東欧映画を代表する作家に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:57 UTC 版)
「ドゥシャン・マカヴェイエフ」の記事における「東欧映画を代表する作家に」の解説
翌1967年に製作した二作目『愛の調書、又は電話交換手失踪事件』は、ロシア映画やフランスのヌーヴェル・ヴァーグから学んだ巧みな撮影技法にくわえて、エロティックな描写に政治的な風刺をひそませる物語が国際的に注目された。この作品でマカヴィエフは旧東欧で急速に成長しつつあった映画産業を代表する監督とみなされるようになり、またとくにアメリカでは冷戦下のユーゴスラビアで果敢にソ連批判を行う映画作家ととらえられて、翌1968年にはフォード財団からの資金援助を受けてアメリカに滞在している。 『保護なき純潔』(1968)は風刺性をさらに強めた作品で、1942年のナチス・ドイツ占領下で公開禁止となったセルビア初のトーキー映画の断片に、この映画の出演者へのインタビューや廃墟となったセルビアの町並みの資料映像などを交錯させるコラージュ的な手法が駆使される。この作品は国際的に高く評価され、第18回ベルリン国際映画祭で銀熊賞 (審査員グランプリ)を受賞している。1970年には第20回ベルリン国際映画祭で審査員を務めた。
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