東欧諸国との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 03:11 UTC 版)
「カジミェシュ4世 (ポーランド王)」の記事における「東欧諸国との関係」の解説
1469年、ラディスラウスの摂政でボヘミア王となっていたイジーの要請により、長男ヴワディスワフがイジーの後継者に決定、2年後の1471年にイジーが亡くなった後にヴワディスワフがボヘミア王に就いた。しかし、ハンガリー王マーチャーシュ1世(ラディスラウスの死後王位を継承)はイジーと対立していたためヴワディスワフと衝突、カジミェシュ4世はヴワディスワフの支援に回った。1490年にマーチャーシュ1世が子のないまま没し、ヴワディスワフはハンガリー王位も継承(ウラースロー2世)、ヤギェウォ家の領土は大幅に増加した。 一方、1471年にノヴゴロド共和国と同盟を結んだが、モスクワ大公イヴァン3世によってノヴゴロド共和国は併合され、大オルダの君主アフマド・ハーンとの同盟のあってイヴァン3世との関係は悪化、しばしばリトアニアを侵略され、リトアニア貴族の離反も招いた。 1492年、64歳で死去した。ボヘミア・ハンガリーはウラースロー2世が、ポーランドは3男のヤン1世が、リトアニアは四男のアレクサンデルがそれぞれ継承した。
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