(旧)東京外国語学校長
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初代:伴正順(1873年11月5日 - 1873年12月19日)兼勤。開成学校副長。 第2代:畠山義成(1873年12月19日 - 1874年5月4日)兼勤。開成学校長。 1874年2月18日 - 4月20日:畠山校長九州出張のため文部省学校課長辻新次が校長事務取扱兼勤(開成学校長事務取扱も兼勤)。 第3代:柳本直太郎(1874年5月5日 - 1874年9月30日) 第4代:肥田昭作(1874年9月30日 - )1874年12月に東京英語学校長に転じ、以後は兼勤。 第5代:中江篤介(1875年4月23日 - 1875年5月7日)儒教的教育方針を主張して紛争を起こしわずか数週間で退任。 第6代:肥田昭作(1875年5月31日 - 1875年8月15日)兼任。東京英語学校長。 第7代:渡部温(1875年7月18日 - 1877年1月12日) 第8代:内村良蔵(1877年1月12日 - 1885年9月21日)
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東京外国語学校長
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初代:神田乃武(1899年4月21日 - 1900年4月7日)海外留学により辞職。 第2代:上田万年(1900年4月7日 - 1900年11月20日)神田校長退任により校長事務取扱。文部省専門学務局長と兼任(文学博士)。 第3代:高楠順次郎(1900年11月20日 - 1908年7月27日)東京帝国大学文科大学(のち東京帝大文学部)教授と兼任。 第4代:村上直次郎(1908年7月27日 - 1918年9月14日)東京音楽学校(東京芸大の前身)校長に転じ退任。 第5代:茨木清次郎(1918年9月14日 - 1919年4月15日)東京音楽学校校長より転じる。松本高校(信州大の前身)校長に転じ退任。 第6代:長屋順耳(1919年4月15日 - 1932年8月4日)文部省督学官。女子学習院(学習院女子大の前身)院長に転じ退任。 第7代:戸沢正保(1932年8月4日 - 1938年12月22日)弘前高校(弘前大の前身)校長より転じる。定年により退任。 第8代:石井忠純(1938年12月22日 - 1943年9月25日)文部省図書局長より転じる。四高校長に転じ退任。 第9代:大畑文七(1943年11月1日 - 1944年4月1日)1943年9月25日 - 11月1日:井手義行が大畑校長着任に先立ち校長事務取扱。 海軍司政官より転じる。
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