東京外国語大学学長時代
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1995年、東京外国語大学学長に就任する。国立大学協会副会長を務めるなか、次第に協会運営に不満を募らせ、1999年にボンで行われた日独学長会議に偶然石弘光一橋大学学長、内藤喜之東京工業大学学長と参加し、帰国後如水会館のレストランで話し合ったことがきっかけとなり、その後四大学連合が結成された。 また、学長時代の2000年に東京外国語大学が府中市に移転したことが、近隣にあるリベラルアーツカレッジの国際基督教大学 (ICU) および後に ICU 学長となる鈴木典比古らとの交流を深めるきっかけとなった。これ以降両大学の交流は幅を広げ、EUIJ東京コンソーシアム、「教育・研究等の連携・協力に関する基本協定書」、多摩アカデミックコンソーシアム (TAC)、グローバル5大学連携協定などの締結につながっていく。
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