東京での暮らし
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 06:03 UTC 版)
上京後の住まいは世田谷区用賀2丁目にあった(現在もそこに長谷川家がある)。毬子の夫が戦死した後、1961年に洋子が夫を亡くしたことをきっかけに、洋子家族が暮らす離れを母屋まで移動して連結した。それ以降は町子・母・毬子・洋子・洋子の娘2人(隆子と彩子〈さいこ〉)・家政婦という計7人の女性が一つ屋根で生活した。 東京の男性と結婚したいと考えていた時期、好みをいくつか挙げており、容姿にはこだわらなかったが、生涯独身だった。洋子が2008年に出版した回想録『サザエさんの東京物語』によれば、何度かお見合いをしており、一度は婚約までいったが後日破棄したという。その理由について、夫や子供の世話で一生を送るなんて我慢できない、と妹に述べている。一時期は子供が欲しかったが、姪ができて母性本能が満たされたという。
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