東京での英学塾経営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 05:22 UTC 版)
明治維新後、東京府尾張町二丁目(現中央区銀座六丁目)に阿波屋を開業し、外国雑貨を商った。 明治2年(1869年)8月1日芝露月町(現港区東新橋二丁目)に英学・通弁教諭所を開業し、明治3年(1870年)8月17日『易経』繋辞上伝「其利断金」「其臭如蘭」に依り金蘭社と号した。家塾は成功して100名以上の生徒を抱え、明治4年(1871年)10月には薬研堀町(現中央区東日本橋二丁目)島村元琳宅に分塾鳴門社(鳴門塾)を開き、1876年(明治9年)頃鳴門義民英学所と改称、1880年(明治13年)1月17日簿記学科を開講した。
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