東京とのつながり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 05:14 UTC 版)
「笑福亭松鶴 (6代目)」の記事における「東京とのつながり」の解説
東京の落語家とも親交を持ち、東京でも「六代目」と呼ばれた。特に5代目柳家小さんと三笑亭夢楽とは同じ世代でもあり無二の親友であった。松鶴自身東京の若手をもよく可愛がり、7代目立川談志と3代目古今亭志ん朝は松鶴に心酔した。後年、談志は松鶴について、外見は豪放だったが実に繊細で面倒見がよく、毎晩のように御馳走になったり、普段の高座は「相撲場風景」などの軽いネタしかやらず「大したことないな」と思っていた矢先、「らくだ」をたっぷりと演じたのを聴いて体が震えるほど感動したなどと証言している。 東京の噺家が角座に来演するときは、必ず松鶴自らはトリに出ず東京方に取らせた。「わざわざ遠いとこから来てくれてんのやさかい、気持ちよう出てもらわなあかん」というのが口癖で、その心遣いにみんな感激した。 弟子の鶴光は東京の落語芸術協会にも加入した時、周りの芸人たちが「世話になったから」と手厚く扱ってくれた経験から、松鶴への感謝の念を著書に記している。また、2代目快楽亭ブラックも短期間ではあるが、松鶴に世話になったことがある。
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