東アジアの侯とは? わかりやすく解説

東アジアの侯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 05:44 UTC 版)

「侯」の記事における「東アジアの侯」の解説

古代中国理想として理念化された周の制度では、天下の最高支配者である天子たる周王から封土与えられて、その内側において天子かわって「君(君主)」として振る舞うことが許され世襲的首長が侯であり、全ての侯を総称して諸侯と呼ぶ。 日本語における音のよく似た語に公があり、やはり古代中国各国首長を指す称号即ち封号として使われ、「公侯」というようにしばしば併称される。このためこのふたつは混同されることがあるが、公はもともと国家のことを指し国家体現する支配者のことをも意味するようになった語である。すなわち、公は国の内側から君をみた称号であり、これに対して、侯は天下全体支配する天子側から各国の君をみた称号であるという違いがある。 中国において、王が侯の称号爵位として授けたものが侯爵である。周制の理想像においては侯爵公爵に次ぐ五等爵第2位で、衛などの周王室の親族出身の国、斉などの周の功臣を祖とする国、陳などの旧王朝末裔称する国の君の爵位とされた。 前漢では、郡国制のもとで国の支配権許され王族諸侯王「王」や「公」を称号として与えられており、伝統的な五等爵使われなくなったしかしかわって戦国時代の秦の軍事制度基づいた二十等の爵位設けられるが、その最上位徹侯列侯)、その次位関内侯呼ばれていた。 列侯は国の統治権与えられない食封として戸から収められる税を受け取権利与えられた。これに対して関内侯は侯といって原則として封も与えられず、禄(年金)が支給されるのみである。その後西晋において侯を含む五等の爵位復活し様々な変遷を経つつ20世紀初頭の清の滅亡に至るまで、功臣与えられる爵位として侯が存在したまた、普通名詞として諸侯地位にある者を意味する侯も広く使われ例えば「王侯貴族」とか「侯王将相」というように侯と王とを併称する用法がみられた。日本江戸時代大名藩主諸侯と言った封侯藩侯と言ったりするのは、江戸時代徳川将軍家頂点とする封建制古代中国封建制なぞらえたのである

※この「東アジアの侯」の解説は、「侯」の解説の一部です。
「東アジアの侯」を含む「侯」の記事については、「侯」の概要を参照ください。

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