東アジアの印刷技法との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 09:58 UTC 版)
「ヨハネス・グーテンベルク」の記事における「東アジアの印刷技法との関係」の解説
木版印刷および活字印刷が史上初めて行われたのは中国である。 現存する印刷物で年代が確定している最古のものは法隆寺等に保管され多数現存する日本の『百万塔陀羅尼』(8世紀)である。これは称徳天皇が発願して神護景雲4年(770年)に完成させたと伝えられている。中国のものでは嘉慶5年(1800年)に敦煌で発見された経典『金剛般若波羅蜜経』(咸通9年(868年)頃)がある。中国では9世紀以降、大量の印刷物が作成された。 世界初の活字は、慶暦年間に北宋の畢昇が作成した陶器の活字である。(畢昇の業績は北宋の沈括の著書『夢渓筆談』巻十八で挙げられている) 14世紀にヨーロッパで初めて作成された木版は中国のものとほとんど同じである。このことから「初期の宣教師や旅行者らが中国からヨーロッパへ印刷の技術をもたらしたのではないか」と考えられている。ジョセフ・ニーダムは著作『中国の科学と文明』第1章の中で「ヨーロッパ人たちは中国の印刷物の実物を見ただけでなく、おそらく中国に滞在した宣教師などから具体的な印刷の技術を学び取ったと考えられる」とする。 なお、東アジアの漢字文化圏では、活字の種類が膨大なものとなるため、活版印刷は定着せず、長らく木版印刷の時代となった。19世紀以降に活版印刷が行われるようになるが、これは西欧の技術を導入してのものとなる。
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