本田美奈子.と「アメイジング・グレイス」
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「アメイジング・グレイス (本田美奈子.のアルバム)」の記事における「本田美奈子.と「アメイジング・グレイス」」の解説
本田の逝去を伝えるテレビ報道では、特に本作に収録されたライヴ映像が盛んに用いられた。このため日本では、この歌と本田の存在とが強く結びついて人々に印象づけられることとなった。「アメイジング・グレイス」は彼女の代表曲のような存在になっている。本田の晩年の歌手活動について多くの人が描くイメージは、赤いドレスを着てこの歌を歌う姿によって形づくられているともいえるだろう。 本田は入院中、路上で転倒し同じ病院に入院してきた恩師の岩谷時子を励ますため、病室でア・カペラで歌を歌い、ボイスレコーダーに録音して岩谷の病室に届けていたが、その時に最初に歌ったのが「アメイジング・グレイス」だった。その録音は2006年7月から1年間放送された公共広告機構(現:ACジャパン)の骨髄バンク支援キャンペーンのテレビコマーシャルや、没後に放送された追悼番組などで流されたほか、2008年3月24日には配信限定でリリースされた。38歳の誕生日の前日に一時退院を許された際にも、世話になった医師や看護師のためにナースステーションでこの歌を歌った。2006年8月22日に放送された日本テレビ系のドラマ『ひめゆり隊と同じ戦火を生きた少女の記録 最後のナイチンゲール』では本田の(スタジオ録音の)「アメイジング・グレイス」が主題歌に採用された。 この歌は200年以上の歴史を持つ文化遺産であり、特定の歌手の持ち歌のような扱いにはなじまない楽曲だが、こうしたこともあって、現在の日本ではこの歌が本田の存在を想起させるものともなっている。作詞者ジョン・ニュートンの自伝「『アメージング・グレース』物語」(2006年12月7日、彩流社)を翻訳した中澤幸夫は「本田美奈子.さんがこの歌を広めたと言っても過言ではない」としている。 本田は岩谷時子による日本語詞の前後に、英語詞の1番を配して歌っている。岩谷の詞は罪深い奴隷貿易に関わったことへの悔恨という元の英語詞のモチーフは踏襲せず、幾多の曲折を経ながらも歌一筋に生きてきた本田の心情を表現したような内容になっている。 なお本田と同じく「アメイジング・グレイス」によって日本でその名を知られるようになったヘイリー・ウェステンラは、シングル「アメイジング・グレイス2008」(2008年5月21日)において本田の残された音源との仮想的なデュエットを果たしている。本作に付属のDVDに収録された本田のライブ映像と並んでヘイリーが歌うプロモーション・ビデオも併せて制作された。ヘイリーは「本田美奈子さんの歌手としての生き方を知り、彼女の歌う“アメイジング・グレイス”は、希望の心を歌っていると私は感じました」と語っている。
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