未解決のダイオキシン類問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 01:09 UTC 版)
「田子の浦港ヘドロ公害」の記事における「未解決のダイオキシン類問題」の解説
上述のように昭和56年(1981年)までに「田子の浦港堆積汚泥浚渫事業」が行われ、既に存在しているヘドロ分についての処理は完了した。その後は工場からのダイオキシン類の排出を制限させるため、平成2年(1990年)に「富士地区ダイオキシン対策委員会」を設立し、目標値を設けた。平成6年(1994年)にはその目標値の達成を確認し、ヘドロ問題の解決がなされたかのように見えた。しかし平成12年(2000年)に県が調査を行うと田子の浦港底質よりダイオキシンといった高濃度の環境ホルモンが検出された。平成14年(2002年)の追加調査でも調査地点の半分で環境基準を越えていることが確認され、ダイオキシン類問題が解決されていないことが判明した。県は「田子の浦港底質(ダイオキシン類)浄化対策委員会」を設置、汚染底質土砂の除去・浚渫作業を開始した。 しかしその際発生した浚渫土の処分場確保に難航しており、円滑には進んでいない。浚渫土砂の埋立地として岩本山が選ばれたものの周辺住民が猛反発し、平成17年(2005年)には署名活動および決起集会が行われた。他、平成19年(2007年)にはダイオキシンを危惧する地元住民約1900人の反対陳情の署名が提出されるなどしている。そのため県は埋立地を鈴川海岸へと変更したが、これも周辺住民により反対された。その後ダイオキシン類の濃度が低いものは鈴川海岸に埋立処分されたが、濃度が高いものについては埋め立てができず未だ処分方法および処分地は決まっていない。そのため未だ課題が残っている状況にある。これらの経緯から、富士市はダイオキシン類等による田子の浦港の底質汚染予防を、公害防止対策事業として継続している。
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