木簡の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 04:09 UTC 版)
「冊」は細長い木簡を並べ、紐を通してまとめた形を表している。これと似た文字が、殷(商)代の甲骨文字に見られ、「冊」と考えられている。木簡による文字記録は殷代には既に行われていたと推定される。 出土木簡の中で数が多いのは漢簡、つまり漢代の木簡である。漢代の一般的な簡牘は長さ一尺(約23cm)、幅五分(約1cm)、厚さは0.2から0.3mmである。これに20字から40字を書けた。2行書けるように幅を広げた「両行」という形もよく使われた。重要なものは大きめのものに書くという考えがあり、皇帝用の簡牘は少し大きく長さ一尺一寸(25cm)とされた。経書用の簡牘は二尺四寸(55cm)で、これは文献に見える規定と出土の現物が一致する。そして、律令など法律を書く木簡は、三尺(70cm弱)の長さをとった。 漢代の文書には、封泥をするための「検」という宛名を書くための木製の物を付けて送った。検は封泥を入れるための凹みがあり、その凹みの両側には紐をかけるために欠けたところがある。木簡本体と検を重ね、凹みを通して紐をかけ、紐の上から封泥を付ける。封泥の上に印を押して完成する。受け手は印が真正で、封泥が壊れていないことを見て、偽文書でないことを確認する。 漢代までは、文章が長くなるときには簡をつづりあわせて冊(編綴簡)にした。紙が普及しはじめた魏晋の頃には、文書に紙と木が併用された。公式的な長い文書には紙が使われ、特別な儀式を除き簡を束ねて冊を作ることはしなくなった。そのせいで木簡は一枚で完結する文書に用いられることになり、形の規格がなくなった。中国ではふつう木簡の裏に字を書かなかったようである。
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