木星との関係
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木星は「歳星」と呼ばれ、一年に十二次を一次ずつ進んで約十二年で天球を一周し、十二次の位置による年記述「歳星紀年法」に利用され、「歳在星紀(歳、星紀に在り)」と記録された(『春秋左氏伝』『国語』などの書物に見られる)。これが後に子・丑・寅などといった十二辰(天球を十二等分した物に十二支を当てはめた物)で年が記述されるようになり、現在まで使われている干支紀年法に繋がった。北の天頂(天の北極)を向いて北極を基準に時計回りで観察すると十二次は西から東(逆時計回り)へと並び、十二辰も十二支の通常の順番(子→丑→…亥)とは逆回り(子→亥→…丑)になるが、これは十二支名を十二次に当てはめただけの物であり、物理上は実際の十二支位置とは異なる。 歳差により位置が冬至→春分→夏至→秋分と周り、時の流れと共に1つ隣の十二宮へと移動していく(例:やぎ座は磨羯宮から宝瓶宮へと移動)。 天球を二十八等分する「二十八宿」があるが、十二次が均等分割であるのに対し、二十八宿は個々の星宿に応じてそれぞれ異なる広度を持った不均等分割である。同じ部分を分割した物であるため十二次は二十八宿の度数で表すことができる(ただし歳差によって時代と共に少しずつずれていく)。
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木星との関係
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串田・村松彗星は、先述のとおり木星との軌道共鳴をしている。しかし、木星に非常に接近する不安定な軌道であり、木星の重力の影響で頻繁に軌道が変わる。 極端な例の場合、1949年5月14日から1961年7月15日の12年もの間、木星の衛星として木星の周回軌道に入っていたとされる。これは軌道解析で判明したものであり、実際に観測されたわけではない。串田・村松彗星は、ラグランジュ点のL2から木星の重力圏へと入り、少なくとも木星を一周、その後L1を経由してL1を中心とするような不規則な軌道をとりながら木星の重力圏から離脱している。これは、木星の周回軌道に乗っている事がわかった5番目の彗星である。ちなみに同じく木星の周回軌道に入っていて、1994年に木星に衝突したことで話題となったシューメーカー・レヴィ第9彗星は、串田・村松彗星が離脱したとされる1960年代には入れ替わるように木星の周回軌道に乗っている。 衛星でいるときに、特に木星に接近したのが3回あり、特に1952年8月26日には約105万km(0.0070AU)、木星半径の14.6倍まで接近した。 日付接近距離木星への相対速度(AU)(万km)(RJ)(km/s)1952年8月26.6日 +97−106日 0.0070 +0.0014−0.0012 105 +21−19 14.61 +2.94−2.61 15.45 +1.62−1.38 1955年1月18日 +9.8−10.0 0.0273 +0.0013−0.0014 408 +20−21 57.05 +2.82−2.94 7.59 +0.22−0.20 1960年1月20.86日 ± 0.02 0.220 3292.9 ± 0.8 460.60 ± 0.11 2.73
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