朝日新聞の記者らが事件に関与
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「朝霞自衛官殺害事件」の記事における「朝日新聞の記者らが事件に関与」の解説
『朝日ジャーナル』の記者川本三郎(27歳)は1971年(昭和46年)2月から菊井と親交を結び、犯人に金を渡すなどの便宜を図り、その見返りにスクープ報道の材料となる情報の提供を受けていた。川本はさらに犯人から犯行の唯一の物証である「警衛腕章」を預かり、さらに同僚記者の妻にこれを託し、1971年(昭和46年)9月上旬に朝日新聞社高井戸寮の焼却炉で灰にさせていた。 1972年(昭和47年)1月8日、埼玉県警察は朝日新聞社に対し、川本の出頭を要請。朝日側は川本の出頭理由の説明を求め、同日午後4時、県警と朝日との間で極秘会議が開かれた。この会議で県警は川本の逮捕と共に朝日新聞社の家宅捜索の意向を示した。これに対し朝日側は「朝日新聞百年の歴史の中で、警視庁すら指一本触れさせたことがない。こともあろうに埼玉県警が捜索とはなにを血迷うか」と威丈高に拒否した。 最終的に朝日側は1月9日の午前9時に川本を草加警察署に出頭させることに同意した。午後5時、捜査本部は川本の逮捕状を執行し、朝日ジャーナル編集部の川本と、川本の上司のN記者の机、ロッカー及び自宅の家宅捜索を行った。 また、『週刊プレイボーイ』の記者K(26歳)が犯人への取材に際して「警察の逮捕は近い」と教えるとともに逃走資金1万円を渡していたことも判明した。このため、両人は1972年(昭和47年)1月9日に犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪で逮捕された。
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