望台への攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:00 UTC 版)
乃木は占領した盤龍山堡塁を起点として、23日、望台への攻撃を命じた。しかし盤龍山堡塁を占領する第九師団の戦力は予備兵力を含めても約1000名に激減しており、第1師団から歩兵第15連隊(二個大隊欠)を応援に回し、第11師団も東鶏冠山堡塁への攻撃で疲弊した歩兵第10旅団(旅団長山中少将は疲労で倒れた土屋師団長の代理で師団本部におり、指揮は歩兵第44連隊の石原大佐が執る)を応援に出す。戦力が整った各隊は24日午前2時より攻撃を開始する。 しかしこれらの突入も情報を事前に察知していたステッセル中将の指示で準備を整えていたロシア軍の反撃で各隊は死傷者が続出した。午前7時、最後の予備兵力の歩兵第12連隊第一大隊が投入されるが要塞からの砲撃が激しく突撃は延期された。 24日午後5時、乃木は総攻撃の中止を指示した。第一回総攻撃と呼ばれたこの攻撃で日本軍は戦死5,017名、負傷10,843名という大損害を蒙り、対するロシア軍の被害は戦死1,500名、負傷4,500名だった。第三軍はほぼ一個師団分の損害を出したことになる。 この頃からロシア軍側は、旅順港内に逼塞した太平洋艦隊の海軍将兵で複数の中隊単位の陸戦隊を編成し、艦船の中小口径砲の一部も陸揚げして陸軍部隊の増援を図った。
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