月計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 05:30 UTC 版)
1961年5月にアメリカは月の有人着陸計画を発表した時、セルゲイ・コロリョフは現在ソユーズとして知られる新型の宇宙船を基にした月計画を提案した。これはソユーズと月着陸船やエンジンや燃料を複数回に分けて打ち上げ、軌道上で組み合わせるという案だった。この方法は宇宙船の打ち上げに必要なロケットが1度に打ち上げるよりも小型ですむ利点があったが、それでも必要なペイロードが大きすぎて既存のソビエトのロケットの打ち上げ能力では及ばなかった。コロリョフは50トンのペイロードを打ち上げる為に最終的に製造されたN-1の設計よりもはるかに小型のN-1ロケットの開発を打診した。 動力源はソビエトのロケットエンジンの設計の大半を受け持っていたヴァレンティン・グルシュコが新設計したUDMHとN2O4を推進剤とするRD-270だった。 この混ぜるだけで爆発的に燃焼するハイパーゴリック推進剤はグルシュコが設計した既存の複数のICBMに幅広く使用されていたエンジンの様式だった。しかしながらこのUDMH/N2O4推進剤の組み合わせはケロシン/液体酸素よりも比推力が低かったのでコロリョフはハイパーゴリック推進剤に替わる別の現実的な高性能の設計が必要になると感じた。更に重要なことにコロリョフは有人宇宙船の安全性を高める為に無害な推進剤の必要性を感じていた。 この意見の違いはグルシュコとコロリョフの仲違いに発展した。両者の確執の原因はそれだけではなく、過去にグルシュコの嘘の告発によりコロリョフが強制収容所送りになったことや、グルシュコがコロリョフに比べ不遇な扱いをされていると感じていたことなどが背景にある。 1962年に行き詰まりを打開する為に開催された会議でコロリョフの意見が採用された。グルシュコはこのような設計に取り組む事に反対したため、コロリョフは最終的に諦めてOKB-276のジェットエンジンの設計者であるニコライ・ドミトリエヴィチ・クズネツォフに支援してもらう事を決めた。クズネツォフはロケットエンジンの設計経験が乏しく、非常に小型のNK-15エンジンを高度に応じて最適化した派生型が計画された。必要な推力を生み出すために、複数のNK-15を1段目の周囲に束ねて使用する事が検討された。 エンジンの輪の内側は開かれる予定でブースター段の上部付近に設置された吸気口から空気を送る予定だった。空気は燃料リッチの排気と混合され燃焼することで推力を増強する仕掛けだった。環状に多くのロケットエンジンのノズルを配置するN-1の一段目はトロイダル・エアロスパイクエンジンシステムを形成していた。より一般的なエアロスパイクも同様に研究中だった。
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