対米ドル実勢レートの推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 07:53 UTC 版)
「アウストラル計画」の記事における「対米ドル実勢レートの推移」の解説
1985年5月(計画の前月):$a680(デノミ後の₳0.68相当) 1985年6月(翌年6月まで公定レート、以下「公」、が「US$1=₳0.8」に):₳0.85(デノミ前の旧$a850相当) 1986年4月(公、切り下げ開始「US$1=₳0.83」に) - 12月(公、対ドルで4割減価):₳0.95 → ₳1.55 1987年1月(公「US$1=₳1.5」に再固定) - 9月(中間選挙で与党が大敗):₳1.6 → ₳3.6 1987年10月(公「US$1=₳3.5」に変更※+3ヶ月間の物価凍結)- 12月(公「US$1=₳3.75」に):₳4 → ₳5 1988年1月(凍結令解除) - 7月(政策の朝令暮改で経済が混乱、インフレも加速):₳5.5 → ₳12.5 1988年8月(プリマベーラ計画開始) - 12月(計画の失敗が決定的に):₳14.5 → ₳16.5 1989年2月(₳が急落、制御不可に) - 7月(大統領辞任→政権交代):₳28 → ₳665 ※1987年10月以降、公定レートの適用範囲は一般人には通常無関係な貿易決済などに特化され、個人間の外為取引では「メルカード・ネグロ」を基とする変動レートが合法扱いとなる。その後も、公定レートが取引内容毎に細分化(→複数相場制)されるなど、為替政策は一貫しなかったが、ハイパーインフレ期を含め、実質的には変動相場制に移行していた(1991年3月の兌換法施行まで)。
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