暴力団共謀説
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実行犯の徐は東日本大震災直後に、山口組系暴力団後藤組組長の後藤忠政が主催する復興支援団体「G−rise日本」の副代表を務めている。オウム事件当時、後藤組は教団との間で土地取引をしており、事件との関連性が一部マスコミや捜査関係者の間で指摘されていた。1992年にはオウム教団本部があった上九一色村で、後藤組系の不動産会社「エム・プランニング」の会長ら計6人が国土利用法計画法違反の容疑で逮捕されている。1995年6月17日に行われた第132回国会予算委員会第33号の中では、錦織淳が静岡県富士宮市のオウム施設が後藤組関係の企業から借りた建物だったと指摘している。また、オウム事件の捜査に関わった小山金七は富士宮市の土地の購入の世話役は村井秀夫だったと証言し、村井と後藤組の関係を指摘した。これらの指摘に対し、後藤忠政は「あいつら(オウム)も土地がいるんで、俺の知り合いの不動産業者の所に来たらしいわ。「農地を売って欲しい」とか言って。オウムとの「関係」といったって、その程度のことだ」と証言している。徐は尊敬する人物として野村秋介を挙げているが、野村は後藤とは盟友関係である。 デイリースポーツはオウム真理教が山梨県上九一色村に進出した時、地元住民が抗議しに来ると教団幹部と一緒に対応してきたのが後藤組だったと報道じた。 1995年7月25日に行われた徐の初公判では東京地裁に679人の傍聴希望者が18枚の傍聴券を求めて集まり、競争率は37・7倍になった。この初公判で、傍聴席最前列に座っていた羽根組構成員のK・Hが、徐に「頑張れよ、皆で待ってるからな!」と大声で叫び職員に引きずり出される騒動が起きており、一部始終を佐木隆三が目撃している。この羽根組構成員は徐の幼馴染みであり、徐を組関係者に引き合せたり世田谷区上祖師谷にある貸家を紹介するなど身辺の世話をしていた。1995年5月11日に暴力行為(恐喝)の疑いで逮捕されているが証拠不十分ですぐに釈放されている。
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