晩年の状況
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2010年頃から仕事が減少し、深夜番組のレギュラーの仕事も消滅[リンク切れ]。周囲に悩みを漏らすようになっていた。女性や金銭関係についてトラブルとは無縁であったが、以前は誘いは絶対に断らなかったのが2010年頃から仲間内での飲み会に誘っても来なくなり、「週に1回しか仕事がない」「腰痛で好きなゴルフができなくなった」とこぼしていたという[出典無効]。 奥山が恩人として慕い、吉本興業へ誘ってくれた横澤彪も2011年1月に死去し、「鬱なんだよ」「元気が出ない」とも語っていた[出典無効]。 吉本がマネジメントした仕事は2010年2月が最後である。吉本興業では文化人枠所属者については自身で直接仕事を取ることも認めているため、この事実だけで仕事が無くなったと断定することはできないが、趣味の競馬も100円単位で楽しむようになっており[出典無効]、愛車のセルシオも手放していた。 生涯独身だった奥山は1人で川崎市のマンションに20年間住んでいたが、2011年に入って3月と4月の家賃を滞納。家賃の滞納は20年でこれが初めてであり、住民の間でも最近の奥山に仕事がなく家賃が払えなくなったと噂になっていたと報じられている[出典無効]。 リポーターの平野早苗の話によれば2007年頃から友人で脚本家の横沢丈二に死生観を語るようになり、「死ぬ時は潔く死にたい」と漏らすようになり、2010年6月、番組の元スタッフに「死ぬ時は迷惑をかけない。人にも言わない」と話し、2011年1月には「仕事はないか。ドキュメンタリーでナレーションをやるのは意義がある」などと語っており、平野は「仕事と家族の間で悩み、精神的にも弱くなっていたのかもしれない」という。
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