昭和時代(戦後)以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 04:02 UTC 版)
「和田峠 (長野県)」の記事における「昭和時代(戦後)以後」の解説
1953年には和田峠を含む前後の区間が国道142号に指定された。和田峠トンネルは戦前戦後を通じ、坑口のコンクリート覆いを延伸するなどの対策で積雪等への対処が図られてきたが、幅員は自動車1台分強と狭いままで、現在は信号機を設置して交互通行するようにされている。 国道142号に昇格してからの和田峠は、対向2車線を確保できない狭隘ぶりから、年々増加する自動車交通を捌ききれなくなった。そのため、代替路として大きくルートを変え、低い標高の新和田トンネルで貫通する新和田トンネル有料道路が1978年に開通したことで、旧道は幹線道路としての役割を終えた。旧道の国道指定は解除されていないものの、現在の幹線自動車交通の大半は新トンネル経由の新道で賄われている。 また、尾根道のビーナスライン(旧霧ヶ峰有料道路)が旧中山道と交わるかたちで通っており、旧道のトンネルの長和側出口付近で接続されている(ビーナスラインが有料だった頃は料金所が設置されていた)。この連絡もあって、旧道は観光道路としての性格が強くなっている。
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