春寒くキリストの目となりにけり
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
春 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
教会に見るキリスト像の目は人間の愚かな行為を悲しむかのように見える。私たちも冷たい風が目にしみた時も何となく物悲しい目になるが、掲句は単純にそれを詠んだのではなく、平和主義者の目から見た世情を詠んだものと思われる。掲句を最近の横須賀のタクシー運転手殺人事件やつくばの8人殺傷事件、岡山の突落し事件などと重ね合せると、寒々しい春の景が映り、その愚かな行為を悲しむ作者の心がキリストの目という言葉を通してひしひしと伝わってくる。「春寒く」の季語が心憎いばかりに句の内容に絶妙な深みを与えている。 仙台市が募った第48回「晩翠わかば賞」で佳作を取った作者が、母親の手により9歳の短い生を閉ざされた痛ましい事件を4月3日付朝日新聞の天声人語が取り上げていた。その作品名は「おかあさん」である。 『おかあさんは/どこでもふわふわ/ほっぺはぶにょぶにょ/ふくらはぎはぽよぽよ/ふとももはぼよん/うではもちもち/おなかは小人さんが/トランポリンをしたら/とおくへとんでいくくらい/はずんでいる/おかあさんは/とてもやわらかい/ぼくがさわったら/あたたかい気もちいい/ベッドになってくれる』 この詩に詠まれた優しい母親が子殺しという余りの落差に言葉を失う。まさに「春寒くキリストの目となりにけり」である。この事件から、人間にも「過冷却」状態が存在するのではないかと思う。液体を凝固点が過ぎてもゆっくりと冷却すると、固体化しないで液体の状態を保つ。これが過冷却の状態である。水であれば摂氏零度以下になっても凍結しない。第一種相転移で言う準安定状態にあたる。そこで刺激を与えると一気に結晶化する。人も心が過冷却の状態であっても、何らかの刺激を与えられない限り一気に心に急変を招くことはないから、人の眼には見分けがつかない。しかし、一旦刺激が与えられると、思いもよらない事態となる。回りの人間が超冷却状態にさせない優しさと思いやりを持たねばならないが、そこまで思いを馳せられぬ現実がまた悲しい。 出典:「港」平成20年4月号 <写真はオオゴカヨウオウレン(大五加葉黄連) 撮影:堤 康晴(鹿児島県屋久島町)> |
評 者 |
野舘真佐志 |
備 考 |
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