星砕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 21:12 UTC 版)
嵯峨天皇の時代に王城の北西の空に3尺もあろう大星が突如として出現し、昼夜ともなく煌々と輝くという異変がおこった。都をはじめ近国五畿内の人々は恐怖におののいた。帝が天学博士に占わせよと宣旨を下すと富小路大納言・高倉是盛卿が加茂康則に勅命を伝えた。早速占った康則は「これは国の凶事とも吉事ともなります。急ぎ比叡山の座主を召されてご祈祷なさることが大事です」と奏上したため、帝はすぐに勅使を立てて座主を招いた。座主は内裏の清涼殿に護摩壇を飾り、肝胆を砕きつつ祈った。すると大星は砕け散り、南東の方へと飛んで行った。 同じ頃、丹波の国と播磨の国の管領・右大弁橘右衛門作が参内しようと丹波と播磨の境・焼石原にさしかかったとき、妖星が大空から砕けて降り懸かり、やがて付近の草群からかすかな声が聞こえてきた。かき分けてみると、そこに玉のような童子が剣と鏑矢を持ち坐っていた。童子の目の中には観音像がお立ちになっている。右大弁はあまりの不思議さに童子を抱き上げて都へと上った。 右大弁は参内して不思議な出来事を話すと、帝は康則に占わせ「この若君は天からの賜り物、我国の将来に大切な方である」と答えたので、悦んだ帝は若君を星丸と名付けて万里小路中納言に預けて養育した。 成長した星丸は文武両道の若君となり、遊びでは横笛を吹き奏でた。その音色は天に響いて天人が天降り、笛の音にあわせて羽衣の袖を翻して遊び戯れた。10歳になった星丸は中納言に伴われて参内し、帝は若君のすばらしさに感激して中将に任命すると田村利春と名を与え、冠・装束に二條の屋形も添えて賜った。中納言は3日3夜の桜の花も舞うかのような盛大なご祝宴であった。
※この「星砕」の解説は、「藤原俊祐」の解説の一部です。
「星砕」を含む「藤原俊祐」の記事については、「藤原俊祐」の概要を参照ください。
- >> 「星砕」を含む用語の索引
- 星砕のページへのリンク