明け透けさ
明け透けさ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 16:04 UTC 版)
「ナジェージダ・リムスカヤ=コルサコヴァ」の記事における「明け透けさ」の解説
後年は夫と同じく、ナジェージダも音楽観があまり進歩的でなくなり、娘婿のマクシミリアン・シテインベルクに比べてイーゴリ・ストラヴィンスキーは頼りないと評価した。目に見えて物事に無神経になっていたのかもしれない。後にストラヴィンスキーは、リムスキー=コルサコフの葬儀で起こったある出来事について、次のように記している。 「 記憶力がある限り、リムスキーが埋葬された場面を僕は忘れないだろう。彼の見た目がとても美しかったので、僕は涙をこらえることができなかった。リムスキーの未亡人ときたら、僕を見て、近寄ってきて言ったんだ。『何がそんなに悲しいの?私たちにはグラズノフがいるでしょ』。こんなに惨い言葉は聞いたことがないし、あの時ほどに憎悪を感じた言葉は二度となかった。 」 彼女が物怖じせずに心の内を明かしたのは、これが初めてではなかった。夫に関することには非常に忠実だった。アントン・ルビンシテインが1887年にペテルブルク音楽院院長職に返り咲いて、ロシア人教授に代わって外国人教授を抜擢するようになると、ウラディーミル・スターソフは、「偉大な支配者様」に向かってリムスキー=コルサコフにひれ伏させるという考えに憤慨した。スターソフは、リムスキー=コルサコフ宛てに「連中と音楽院やルビンシテインとの関係は中央集権的だ(しかもツェーザリ・キュイに便乗すれば、完全な変節だ)」と書き送ったことをバラキレフに打ち明けている。スターソフの手紙が届いた時、リムスキー=コルサコフはボロディンの遺作の歌劇《イーゴリ公》の仕上げに励んでいるところだった。返信はナジェージダが買って出た。 「 あなたの勇み足の毒舌は、お門違いで、噴飯ものですらあります……。他人について書く前に、事実調べをなさい。何の権利があって、宅の基本行動を変節などと疑うのでしょう? 善人にはどうにも分かりません。宅についての誹謗中傷をあなたに御注進する件の輩のために、宅を否定して叱りつけておいでのご様子。日常のあらゆる状況において、宅が気高く、誇り高く振る舞うことができるように、誰からも宅が指図されないことを望みますわ。なぜなら、彼には彼なりに充分に気位や知性が備わっているのですから。 」 リムスキー=コルサコフが1908年に歿するや否や、ナジェージダは夫の著作物や楽曲についての遺言執行者となった。そこには、遺作となった亡夫の著作や楽曲の校正と出版という、かなりの仕事も含まれていた。自叙伝『わが音楽の生涯』や論文集、楽譜、友人たちとの往復書簡などがその対象だった。ナジェージダは、夫の遺産の保管に余生を捧げ、ロシア・バレエ団が《シェヘラザード》や《金鶏》をバレエ化した際には、セルゲイ・ディアギレフに抗議している。
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