(楠町)旧家の岡田家
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岡田家は代々楠城主に仕えて、初代当主は「岡田治部衛門」と名乗り、文政12年の古文書では「庄屋岡田武兵衛」とあり、嘉永元年の古文書では「岡田仁兵治」と記述されている。慶應2年や明治3年の神社の札でも「庄屋岡田武紀知」と記述されている。江戸時代の楠地域の庄屋であった楠岡田家の土地と建物が、岡田家の子孫の岡田氏より寄贈されて『四日市市楠歴史民俗資料館』となった。江戸時代の中期に建築された建造250年の古い建物の整備事業と、修復工事をして、平成17年度から『四日市市楠歴史民俗資料館』として四日市市民に公開されている。主屋(岡田家の母屋・おもや)の部分、岡田家の立会所の部分、岡田家の蔵の部分は四日市市有形文化財(建造物)の指定を受けている。古い建物として危険なため撤去された、使用人専用の部屋と女子部屋(おなごしべや)・しもや(作業所)・養蚕の作業を行なう養蚕所と年貢米を蓄える米蔵があった。岡田家の米蔵の跡地に展示棟が新設された。新設された展示棟には 歴史的に貴重な建物、資料が展示されている。 江戸時代の古文書には庄屋の岡田武兵衛が 1829年(文政12年)に存在したと記載されており、江戸時代の文政期より楠地域の本郷村を統治していた。岡田家は庄屋として、桑名藩の郡奉行や桑名藩の代官の代行執行官として百姓の年貢米の取立てや不法浪人取締りなど、江戸時代の農民身分の組頭や村方役と、楠地域の村政について協議して楠地域を統治していた。楠岡田家は江戸時代の農民で、1889年(明治22年)に町村制が成立して、楠村が誕生して、大正時代には楠村の村長に岡田武兵衛が就任して、昭和時代には岡田武兵衛が初代町長を務めて、近世の江戸時代から近代の明治時代・大正時代・昭和時代にわたり、楠町制に携わった旧家が楠岡田家である。 岡田武兵衛は楠村の本郷地区出身で、岡田家は江戸時代から楠地区の庄屋をしており、岡田武兵衛は楠岡田家の岡田武兵衛16世であり、16代目の岡田家当主である。岡田家の建築物の建物は、四日市市指定有形文化財として博物館として保存されている。岡田武兵衛の胸像は1966年(昭和41年)に岡田武兵衛(元三重郡楠町長)の事蹟を偲び、楠町内の家庭や会社などの寄付金86万2380円によって作成された。日展審査員の片山義郎の作品であった。 岡田武兵衛の二男の岡田収は伊勢電気鉄道勤務・三重県庁勤務から鈴鹿高専や名古屋工業大学教授として教育界で活躍した。
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