日本の銃剣の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:12 UTC 版)
日本には天保年間、高島秋帆の「洋式調練」以来、幕末期に洋式銃と共に導入されたが、白兵戦にはそれまで使い慣れていた打刀を使う者が多かった。上野戦争時には乱戦で使われた記録がある。本格的に採用されたのは明治維新後である。 日本陸軍では、銃剣のみ配備された部隊があり、小銃の代わりに「戦場ニ於テ着剣銃ニ代用スベキ刺突用具」というサポート機材を作成使用していた。ただし、着剣し、白兵戦で刺突に使用した小銃は、その衝撃で照準器がずれることが多く、照星や照門の微調整をやり直す必要があった。 日露戦争-太平洋戦争期に使われた日本陸海軍の三十年式銃剣は平時には刃引きされており、出征の直前に刃を付けるように定められていた。刃が付けられるのは全長40cmあまりのうち先端から19cmの処までであったが、これは銃剣は突き刺すための槍として使う刃物であり、日本刀のように切り付けることを目的としていないためであった。同年代の諸外国でも突き刺すのみの銃剣、また長い刀身の前半のみ刃を付けられた銃剣も多い。刃付けにはグラインダー等の工具が用いられ、研削の痕が残る程度に荒砥ぎされた状態になるのが一般的である。しかし、当時の日本人の感覚としては、日本刀を念頭に刃物の鍔元まで刃があるのが普通であったため、各自がやすりで削ったり砥石で研いだりして規定外の範囲にわたって刃を付けた物が多く存在した。 1910年代から20年代の歩兵。弾薬盒を装備し、三八式歩兵銃には三十年式銃剣を着剣している 1930年代、演習で三八式歩兵銃を装備した歩兵連隊の軍旗衛兵 1937年(昭和12年)頃、日中戦争において三八式歩兵銃を装備した歩兵 1937年、日中戦争において三八式歩兵銃で着剣捧げ銃の敬礼を行う軍旗衛兵 樺太の日ソ国境(50度線)を守備する国境警備隊(樺太庁警察部)で使用される着剣状態の三八式歩兵銃
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