日本の調理刀と料理人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 07:13 UTC 版)
奈良時代から平安時代初期にかけての日本では、調理用の刃物は他と区別されることなく大和言葉で「刀」全般を意味する「かたな」の名で呼ばれていた。この時期の漢語名も似たようなもので、他と区別されることなく「雑用のこがたな(※小刀)」全般を意味する「刀子(タウス、現代仮名遣い:トウス)」の名で呼ばれていた。 日本語において、庖(台所、厨房)で働く専門の職人を「庖丁者(はうちゃうじゃ、現代仮名遣い:ほうちょうじゃ)」または「庖丁人(はうちゃうにん、現代仮名遣い:ほうちょうにん)」と呼ぶようになったのは、平安時代末期ごろと考えられている。鎌倉時代末期か南北朝時代に完成した『徒然草』の第231段には、園の別当入道(その の べつとう にゅうどう。藤原基氏、園基氏)の話として「園の別当入道 さうなき庖丁者なり〔略〕(解釈:園の別当入道は並ぶ者の無い料理人である)」と記されている。他方、「庖丁師(はうちゃうし、現代仮名遣い:ほうちょうし)」も「庖丁者」「庖丁人」の同義語ではあるが、明応9年(1500年)頃(戦国時代中期)に成立した『七十一番職人歌合』の57番に見られる「はうちゃうし(庖丁師)」を詠んだ和歌「おほ鯉のかしらを三にきりかねて かたわれしたるあり明の月〔略〕(書き下し:大鯉の頭を三つに切りかねて、片割れしたる在明の月。〔略〕 解釈:大きな鯉の頭を三枚におろし損ねて。[おろし損ねた大きな鯉の頭のように]半分に割れた有明の月よ。〔略〕)」が例に挙げられているように、前2者より遅れて現れたと思われる。 庖丁者・庖丁人が用いる刀を「庖丁刀(はうちゃうがたな、現代仮名遣い:ほうちょうがたな)」と呼ぶようになったのも「庖丁者」および「庖丁人」が成立したのと同じ頃で、この時期に編まれた『今昔物語集』の巻26に見られる一節「喬なる遣戸に庖丁刀の被指たりけるを見付て」あたりが初出とされている。さらに「庖丁刀」の略語としての「庖丁」が用いられ始めたのも同じ『今昔物語集』の巻28に見られる一節「鞘なる庖丁」あたりからとされている。
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