かき‐くだし【書(き)下し】
書き下し
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 00:42 UTC 版)
「律増甲乙之科以正澆俗 礼崇升降之制以極頽風」の記事における「書き下し」の解説
「律は甲乙の科を増し、以て澆俗を正す。礼は升降の制を崇め、以て頽風を極(と)む」
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書き下し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:00 UTC 版)
上天眷命大蒙古国皇帝 書を日本国王に奉る。朕惟ふに古自り小国の君、境土相接するは、尚は講信修睦に務む。 況んや我が祖宗、天の明命を受け、区夏を奄有す。 遐方異域、威を畏れ徳に懐く者、悉くは数うべからず。 朕即位の初め、高麗の辜無き民の久しく鋒鏑に瘁るるを以て、即ち兵を罷め、其の疆域を還し、其の旄倪を反ら令む。 高麗の君臣、感戴して来朝せり。 義は君臣と雖も、而も歓ぶこと父子の若し。 計りみれば、王の君臣も亦た已に之を知らん。 高麗は朕の東藩なり。日本は高麗に密迩し、開国以来、亦た時に中国に通ず。 朕の躬に至って、一乗の使も以て和好を通ずること無し。 尚は恐る、王の国之を知ること未だ審ならざらん。 故に特に使を遣はし、書を持して朕の志を布告せしむ。 冀は今自り以往、通問結好し、以て相親睦せん。 且は聖人は四海を以て家と為す。相通好せざるは、豈に一家の理ならん哉。 兵を用ふるに至るは、夫れ孰か好む所ならん。 王其れ之を図れ。不宣 至元三年八月 日
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書き下し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 16:33 UTC 版)
日本語では、漢文が原文である場合、白文を訓読(漢文訓読)することになるが、それを記す場合には訓読文(訓読して漢字仮名交じり文〈仮名交文〉に書き直した文)に変換することとなる。訓読は訓み下し(よみくだし。訓下しとも綴る)とも言うが、訓読した内容を文に書き起こすことは書き下し(かきくだし。書下しとも綴る)と言う。訓み下しと書き下しは似て否なるものであるが、訓み下し文と書き下し文は同じものとなるので、一般的に両者は同じと見なされる。 同じ日本語でも古語等が原文である場合、これも、訓読・書き下し・現代日本語訳が必要となる。 ただし、書き下し文は省略されることも多い。
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「書き下し」の例文・使い方・用例・文例
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