日本における諸宗教への迫害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 05:11 UTC 版)
「キリスト教徒による宗教的迫害」の記事における「日本における諸宗教への迫害」の解説
「日本のキリスト教史」も参照 日本におけるキリスト教は1549年のフランシスコ・ザビエルとイエズス会(耶蘇会)から始まり、戦国大名の中には南蛮貿易での利益を求めて自身がキリシタン大名となり、キリスト教を優遇するものも現れた。 その過程において、一部のキリシタン大名とキリスト教信者によって、領内の神社、寺院が焼かれ、僧侶が迫害されるという事例が存在した。ただし仏教徒の大名の領土では、逆にキリスト教徒が迫害されていた事例も存在した(原因の一つにキリスト教が他宗教を「悪魔の教え」と見なしたことによる対立がある。アフリカにおける例を参照)。 この神道・仏教に対する弾圧と、ポルトガル商人によって行われていた日本人奴隷の貿易を宣教師達が黙認していたことを名分として、豊臣秀吉はバテレン追放令を発し、キリスト教への圧迫が強まった。ただしこの段階ではまだキリスト教自体は禁止されてはいなかった。あくまで宣教行為を禁止し、外国に売られた日本人を連れ戻すようにとの命令であり、すでにキリスト教徒となった日本人に対して棄教を迫るものではなかった。 しかし、サン=フェリペ号事件によって豊臣秀吉の対キリスト教政策はさらに硬化し、キリスト教が禁止されるに至る。キリスト教は完全に禁止され、キリシタンは棄教を強制された。その後、島原の乱に代表されるキリスト教徒による反乱によって徳川幕府はキリスト教を危険視し、キリスト教徒は死罪や強制改宗などを含む徹底的な弾圧を受け、江戸時代が終わるまで続いた。
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