日本での開業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 20:39 UTC 版)
1913年(大正2年)、日本初の西洋美容院「巴里院」を有楽町に開業した。フランスから最新の器具や材料を輸入し、華族や上流夫人たちに支持された。 当時の日本女性は、長い髪を毎日結い上げることが面倒で、日本髪でも束髪でも、髪型を長時間維持することに苦労していた。そこでマリールイズは、自身の名をつけたヘアピース「ルイズ髷」を考案した。これはパリのかつらに独自の工夫を取り入れたもので、自由に形を変えられ、就寝時は取り外すことができた。大正中期から昭和初期にかけて大流行し、1日に150個売れるときもあった。 当時の日本では、女性が夫を病気や戦争などで喪い、生活手段を絶たれる女性が非常に多かった。そこでマリールイズは後進の育成と女性の自活の道を求め、巴里院の開業と同時期の1913年(大正2年)、店に巴里院美容講習所(マリールイズ美容専門学校の前身)を併設し、近代美容術を女性たちに教え、女性の社会的な自立を目指した。 巴里院の近隣に宮内庁御用達の写真館があったことから、巴里院は洋髪のみならず婚礼美容の業務も行った。1916年(大正5年)、後の義娘にして後継者となる千葉益子が入門し、頭角を現した。千葉が婚礼美容を担当して、名門への道を開拓、確立していった。 皇族を始め、その後も栗野英子の手引きにより、上流家庭での仕事も増えた。威仁親王妃慰子は特に、マリールイズを非常に可愛がり、墓参に同伴させることもあった。マリールイズにとっても、上流家庭での仕事を務めることは、上品で良い日本語を学ぶことのできる、幸運な機会であった。それがきっかけで、小唄、華道、芝居など、日本文化にも多く接するようになった。
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