新総督の就任とは? わかりやすく解説

新総督の就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 01:44 UTC 版)

ラム酒の反乱」の記事における「新総督の就任」の解説

ブライ失脚の後、ジョンストン上官で、タスマニアのポート・ダルリンプル(現在のローンセストン)で植民地建設しているパターソン大佐にこのことを知らせたパターソンは、本国からはっきりした命令が来るまで、この件に関与するのを渋った3月になって、ジョセフ・フォヴォー(英語版中佐が、総督代理就任命令携えてシドニー戻ってくることを知ったパターソンは、シドニー優勢誇っている軍政への対処をフォヴォーにまかせた7月にフォヴォーが到着し植民地業務引き継いだ、これはマッカーサーをいらだたせた。裁判結果本国からもたらされることになっており、ブライ振舞横柄であったため、フォヴォーはブライ軟禁状態にとどめ置いて植民地道路や、公共建物改善注意向けた、フォヴォーは、こういったものの整備がかなり見過ごされていると感じた本国からの通知何ら来ず、フォヴォーはパターソン1809年1月シドニー呼んで事態改善するように伝えたパターソンジョンストンマッカーサーを、裁判のため本国送りブライを、イギリスに戻るという契約書署名同意するまで兵舎監禁したパターソンは健康が衰えており、パラマタ政庁引っ込んで、フォヴォーに植民地切り回しさせた。1809年1月ブライ10門の物資輸送ポーポイズ指揮権与えられ、その指揮執りつつイギリスへ戻った。しかしブライタスマニアホバート針路変え植民地支配権取り戻すため、タスマニア総督代理であるデヴィッド・コリンズ(英語版)の援助求めたコリンズ援助をしなかった。その後ブライは、パターソン命令によりポーポイズ指揮から外され1810年1月までホバート南部のデルウェント川(英語版)の河口停泊させられた。 植民地政府はついに、海軍出身総督植民地統治送り込むことへの不支持決定した。現在は第102歩兵連隊として知られるニューサウスウェールズ軍団代わりにイギリスから第73歩兵連隊英語版)を呼び寄せ、その指揮官総督務めることにした。ブライ1日だけ総督復職した後にイギリスへ召喚された。ジョンストンイギリス軍法会議出廷したが、マッカーサーシドニー裁判受けた。第73歩兵連隊輸送任務についたのはマイルズ・ナイチンゲール少将だったが、直前になって健康を害したため、ラックラン・マッコーリー少将代わりに任務についた1810年1月1日マッコーリー仰々しい儀式経て総督就任した

※この「新総督の就任」の解説は、「ラム酒の反乱」の解説の一部です。
「新総督の就任」を含む「ラム酒の反乱」の記事については、「ラム酒の反乱」の概要を参照ください。

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