新総督バーナードと新主任判事ハッチンソン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 03:07 UTC 版)
「ジェイムズ・オーティス」の記事における「新総督バーナードと新主任判事ハッチンソン」の解説
1760年9月、最高裁判所主任判事スティーブン・スーワルが病没した。空席となった主任判事の椅子は父ジェイムズにとって宿望のものであり、前々総督ウィリアム・シャーリーからもその約束を取り付けていたつもりだった。 父親の望みを理解していたオーティスは、副総督トマス・ハッチンソンとその周辺に、8月に着任したばかりの新総督フランシス・バーナードへの口ぞえを依頼した。しかしハッチンソンは、義弟アンドリュー・オリバーやオーティスの旧師ジェレマイア・グリッドリーに推される形でバーナードから主任判事への任命を受けた。この間のいきさつは、オーティスと、バーナードおよびハッチンソンの間に埋まることのない溝を穿った。その対立は、はやくも翌年2月の援助令状を巡る論争となって表れることになる。
※この「新総督バーナードと新主任判事ハッチンソン」の解説は、「ジェイムズ・オーティス」の解説の一部です。
「新総督バーナードと新主任判事ハッチンソン」を含む「ジェイムズ・オーティス」の記事については、「ジェイムズ・オーティス」の概要を参照ください。
- 新総督バーナードと新主任判事ハッチンソンのページへのリンク