新寄宿舎の開舎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 新寄宿舎の開舎の意味・解説 

新寄宿舎(吉田寮)の開舎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:25 UTC 版)

京都大学吉田寮」の記事における「新寄宿舎吉田寮)の開舎」の解説

1913年秋、新寄宿舎竣工した。この寄宿舎は約500坪の敷地木造2階建ての3棟(南寮・中寮・北寮)が並列し平屋管理棟本館)につながる構造だった。各寮には「特別自習室」を兼ねた病室1部屋と、甲乙種類の「舎生室」が約40部屋あった。甲室は8畳または10畳の二人相部屋、乙室は6畳一人部屋だった。(甲室の数は少なかった部屋全て南向きで、風通し良かった管理棟には学生監室、事務室会議室医局閲覧室談話室湯呑所、見張所、電話室があった。談話室には碁盤集会所にはピアノオルガンピンポン等の娯楽用品置かれていた。また、舎内には2つ売店があり、片方飲食物牛乳、「コヒー」、茶菓子麺類、しるこ)を、もう片方文房具販売していた。付属建築物には食堂、賄所、洗面所浴場小使控所等があった。防火設備完備されていた。専属守衛事務員もいた。 開舎式から何か月経たないうちに、新寄宿舎旧寄宿舎のそれに似た自治組織擁する至った意思決定機関として「総会」と総代会設置された。総会には定足数があり、多数決であった総代会は各寮の各部1部 - 4部)を代表する12名の総代からなった。また、各寮は2名ずつ「総務委員」を選出して「総務部」を組織日常事務執行に当たらせた。専門部園芸部衛生部作られた。1917年時点で、総務部会計部衛生部談話部、遠足部、庭球部、雑誌部園芸部購買部専門部として存在していた。

※この「新寄宿舎(吉田寮)の開舎」の解説は、「京都大学吉田寮」の解説の一部です。
「新寄宿舎(吉田寮)の開舎」を含む「京都大学吉田寮」の記事については、「京都大学吉田寮」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「新寄宿舎の開舎」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

新寄宿舎の開舎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



新寄宿舎の開舎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの京都大学吉田寮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS