新坂本国際墓地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 08:49 UTC 版)
坂本国際墓地が手狭になったことから、1903年(明治36年)に道路を挟んで隣接する敷地に開設された。1908年(明治41年)より供用が開始され、近代日本において様々な分野で功績を残した著名人が埋葬されている。2004年(平成16年)にはトーマス・ブレーク・グラバー夫妻の墓碑が、長崎市の史跡に指定された。 日本人を含む13か国・117名が埋葬されており、1991年(平成3年)現在で約70基ほど墓碑が現存する。入口左手のレンガ塀に囲まれた敷地はユダヤ人区域として準備されたもので、61区画が準備されていたが、長崎のユダヤ人コミュニティの衰退もあり、実際には僅か5区画のみの利用に留まった。 ユダヤ人区域。広大な敷地に僅かばかりの墓碑が建っている。
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ロバート・I・ボウイ - Robert I. Bowie - (1911):アメリカ人医師・実業家。個人経営の診療所や石炭を扱う商社を経営する傍ら、専務居留地住人や外国人旅行者向けの病院「聖ベルナルド病院」(小菅町に存在。現存せず)を開設した。 ウィルソン・ウォーカー - Wilson Walker - (1914):イギリス人実業家。1868年に船員として来崎し、「ホーム・リンガー商会」で船長を務める。岩崎弥太郎率いる商船会社「郵便汽船三菱会社」(後の日本郵船)で実績を上げ、同社の船長兼取締役となり、同社退社後はビール製造会社「ジャパン・ブルワリー」(後のキリンビール)の筆頭株主として、一時期支配人も務めた。晩年は長崎でホテルを経営する傍ら、弟ロバート・ウォーカーと共に日本初の清涼飲料水製造会社「バンザイ炭酸飲料社」を設立した。 トーマス・ブレーク・グラバー - Thomas Blake Glover - (1911)・淡路屋ツル(1899)2004年(平成16年)長崎市の文化財に指定された。 倉場富三郎 (1945)・倉場ワカ (1943)
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