新五方面作戦へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 05:23 UTC 版)
通勤新幹線は五方面作戦と異なり、当時幾つか建設されていたニュータウン鉄道と同じような開発先行型の路線であったが、磯崎叡が総裁となるとその性格を色濃く引き継いだ在来鉄道を高速化した通勤新線の更なる増設方策が研究されることとなる。その結果は、旅客局、建設局などが主導して構想された新五方面作戦として1972年に提示された。 新五方面作戦は次のような考え方から提案されている。まず、未開発地が多く残存し地価の安価な都心から50 - 60キロ地域をターゲットとし、通勤輸送を高速に実施することを前提とする。新線建設による首都圏各線の混雑率の目標は1976 - 1978年で200%、1985年で150%を目標とする。建設の決心に関する考え方としては、首都圏の場合は将来利益を生み出す成熟産業への成長性を秘めていると捉え「今日の赤字は明日の黒字を得るためのコスト」としている。また、行政からの助成、開発還元措置、割増運賃により経営の安定化を図るための模式的な経営シミュレーションも実施された。 東海道・東北方面開発線:東北方面から南下して池袋、新宿、渋谷、目黒を通過し東急線沿線から茅ヶ崎に抜ける路線。 中央・総武開発線:三鷹付近を通過後中央線の南側を平行しながら東進して新宿を通過し、新橋付近から臨海部に出て京葉貨物線に平行する路線。 高崎・常磐方面開発線:高崎線西側地域を平行しながら都心へ南下し、新宿、市谷、北千住を通過し、筑波研究学園都市に向かう路線。 京葉線やつくばエクスプレスなど、一部の路線は新五方面作戦で提示された性格を継承して開業した。東海道・東北方面開発線は数年で立ち消えしたが、代わりに東北・上越新幹線反対運動への対策として埼京線の構想が同時期に浮上し開業している。その後、湘南新宿ラインの運行開始によって酷似する経路で実現した。中央・総武開発線については構想から4半世紀余を経て、運輸政策審議会答申第18号にて同様の経路を持つ路線が提示された。
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