斜陽、そして再生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 03:54 UTC 版)
「ダルース (ミネソタ州)」の記事における「斜陽、そして再生」の解説
しかし1970年代に入ると、ダルースは斜陽へと転じていった。鉄鋼業界における国際競争の激化により、USスチールの製鉄所は1971年に閉鎖し、市の経済に大打撃を与えた。これにとどまらず、市内の工場は次々と閉鎖されていった。空軍基地も閉鎖された。メサビ鉄山も減産に転じ、ダルース港の地位は低下した。1970年代の10年間における失業率の平均は15%にも達した。市内の店舗は次々と空き家になり、職業安定所には長蛇の列ができた。 1980年代、工業都市・港湾都市としての地位が低下したダルースは、観光に力を入れることで再生を図った。ウォーターフロントの倉庫街はキャナル・パークとして整備された。周辺の倉庫はレストランやバー、各種ショップへと姿を変えた。ダウンタウンの通りも整備され、レンガ敷きになった。また、建物をつなぐ屋内連絡通路も整備された。 今日では、ダルースは安定した、成熟した都市となっている。ダルースはダルース都市圏内のみならず、ミネソタ州北東部、ウィスコンシン州北西部、さらにはミシガン州アッパー半島の西部を含む広い地域の中心都市としての地位を確立している。中華人民共和国における鉄鋼需要の急増と共にメサビ鉄山が再び増産に転じ、それに伴ってダルース港は息を吹き返した。同港は従来からの主要な取扱貨物である鉄鉱石・タコナイトをはじめ、石炭や農産物も多く取り扱っている。
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