斜陽化および廃業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 14:13 UTC 版)
「日本飼料ターミナル」の記事における「斜陽化および廃業」の解説
会社は1969年度(昭和44年度)から1976年度(昭和51年度)までの間に全国に15か所の基地を建設した。各基地に設置されたサイロは合計512基であった。会社の取扱高は1972年度(昭和47年度)に50万トン、1973年度(昭和48年度)に62万トンと増え、1978年度(昭和53年度)には73万7255トンのピークを迎えたが、当時は同時にモータリゼーションが進行しており当初期待されたほどの取扱高ではなかったようである。 その後、道路整備が着実に進められたこと、繰り返される労働争議と運賃値上げで国鉄が荷主の信頼を失ったこと、養鶏業の集積地が移動したこと等の事情により、日本飼料ターミナルの取扱高は急速に減少した。取扱高は1982年度(昭和57年度)には42万トンであったものの、同年11月にはダイヤ改正で多くのローカル線の貨物列車が廃止され、その中には竹松駅のある大村線、下土狩駅のある御殿場線も含まれていたため、竹松、下土狩の基地では鉄道による入荷が不可能になった。これらの事情によって1984年(昭和59年)より休止される基地が続出し、1985年度(昭和60年度)には7基地で17.8万トンを取り扱ったのみであった。会社は昭和61年11月ダイヤ改正の前日を以って廃業および解散した。
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