斎藤喜博を再評価する動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 04:38 UTC 版)
「斎藤喜博」の記事における「斎藤喜博を再評価する動き」の解説
すでに見たとおり、斎藤喜博の島小教育は全国的に有名になり、わが国初等教育の金字塔として評価される存在であった。ところが、意外なことにお膝元の群馬県では、斎藤の母校群馬師範の後身である群馬大学に勤務した永井聖二によれば、教育実習のカリキュラムを検討する会議で「斎藤の実践を後輩たちに知ってもらいたい」と発言したところ、教科教育担当の教官から「群馬県の教育界では斎藤喜博のきの字もない」とにべもなく拒否されたという。「昭和50年代のことだが、すでにその時期から故郷の教育界の「主流」が斎藤を見る目は冷たかったようである」と永井は書いている。その証拠に、斎藤と同時代の著名な教育者だった東井義雄や国分一太郎は、それぞれの故郷である兵庫県や山形県に立派な記念館や資料館が建っているが、斎藤の故郷群馬県には何もない。 斎藤は、周囲と安易に妥協せず自らの信念に従って教育実践を貫いたので、周囲から批判を浴びることも多く、また公開研究会の案内を教育委員会に出さないなど教育行政と軋轢を生むことも少なくなく、周辺校の校長らのやっかみもあった。これらのことが、全国的な名声とは裏腹な地元での批判・冷遇の要因であろう。 ところが、2021年3月31日から4月30日まで、群馬大学図書館と群馬県立図書館で「斎藤喜博展」が催されたのである。ポスターでは、「戦後、群馬県の農村にある小さな小学校の名を全国に轟かせた伝説の校長、斎藤喜博。子どもの可能性を信じ、潜在能力を引き出す。その教育実践に迫る資料を紹介します」と謳っている。2021年は斎藤の生誕110周年(没後40周年)で、これを記念する展覧会だという。冷遇され続けてきた斎藤の生地で、このような再評価の動きが出てきたことは誠に喜ばしいことである。今後こういう動きが定着することを期待したい。
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