文学以外の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 16:02 UTC 版)
金庸は、香港を代表する名士の1人であり、小説の執筆は多彩な活動の一部に過ぎない。 1959年5月20日に創刊した『明報』は中国語圏のみならず、世界的にも影響力を持つ新聞で、金庸は創刊以来、武俠小説の連載と共に社説の執筆も手がけてきた。中国で文化大革命が行われていた時期、金庸は共産党の施策に反対する態度を明らかにし、左派の論客たちと紙上で激しい論戦を繰り広げた。一時は身の危険を感じ、香港を離れたこともあったほどである。 香港の中国返還が決まるや、返還後の香港の政治体制を決める香港基本法起草委員会に、中国側の推薦で選ばれた。一貫して共産党を批判してきた金庸が中国の推薦を得たのは、香港内外でのその影響力が考慮されたことに加え、中国の政治指導者層内部にも、金庸の武俠小説の愛読者が少なくなかったからと言われる。金庸の提出した香港の政治体制についての法案は、現実を直視して香港の政治的安定を優先し、中国の許容範囲内での民主主義と自由を認めるというものだったために、香港では不評で、特に民主派からは総攻撃を浴び、香港の初代行政長官を狙う野心家との非難も出た。だが、1989年に天安門事件が発生すると、即座に中国への抗議声明を発して委員を辞したことで、世間を驚かせた。法案自体は、その後紆余曲折を経たものの基本的には金庸の草案に沿ったものとなっている。 その後、『明報』を辞して引退したものの、各方面での活発な活動を続けており、中華圏において、大きな影響力を持っている人物の1人である。
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