敷地神社とは? わかりやすく解説

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敷地神社

読み方:シキチジンジャ(shikichijinja)

別名 わら天神

教団 神社本庁

所在 京都府京都市北区

祭神 木華咲耶姫

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

敷地神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 13:42 UTC 版)

敷地神社

拝殿
所在地 京都府京都市北区衣笠天神森町10
位置 北緯35度2分10.970秒 東経135度43分53.503秒 / 北緯35.03638056度 東経135.73152861度 / 35.03638056; 135.73152861 (敷地神社)座標: 北緯35度2分10.970秒 東経135度43分53.503秒 / 北緯35.03638056度 東経135.73152861度 / 35.03638056; 135.73152861 (敷地神社)
主祭神 木花開耶姫命
社格村社
創建 不詳
別名 わら天神
例祭 神幸祭(4月第1日曜日)
地図
敷地神社
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敷地神社(しきちじんじゃ)は、京都市北区衣笠天神森町にある神社。旧社格村社わら天神の通称で知られ、安産の神として知られる。

祭神

歴史

そもそもは、北山の神として山背国葛野郡衣笠村に降臨した天神地祇がその北山の地に祀られていた。天長8年(831年)に、その地に氷室が設けられ、その夫役として加賀国から移住した者が、崇敬していた菅生石部神社(敷地天神)の神を勧請し、北山の神の隣に祀ったうえ、更に菅生石部神の母神である木花開耶姫命も祀って祭神に定めたという。

応永4年(1397年)に、足利義満が山荘・北山殿(後の金閣寺)を造営するに当たり、参拝に不便になったことから両社を合祀して現在地に遷座した。

明治時代になると村社に列せられている。

信仰

安産の神として信仰されている。安産御守としてが授与されることから「わら天神」の通称があり、藁に節があれば男児、節がなければ女児が誕生するといわれている。

摂社・六勝稲荷神社は試験合格の神として信仰される。

境内

祭事

  • 春季大祭 4月第1日曜日
  • 秋季大祭 10月26日

現地情報

所在地
交通アクセス

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