数学における概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 13:24 UTC 版)
数学はその発展の中で、「正しそうに見える推論」の中から「本当に正しい推論」を選り分けてきた。こうしてまず最初に整数や幾何図形のような対象が数学で扱えるようになったが、その後集合や無限のような深遠な対象を取り扱ったり、自己言及のような複雑な推論を扱ったりするようになると、どれが「本当に正しい推論」でどれが「正しそうに見えるが実は間違っている推論」なのかが分からなくなってしまった。パラドックスはこのように、仮定、推論、定義等がよく理解されていない状況で発生してしまうものである。 したがって、パラドックスは単なる矛盾とは区別される。例えば有名な「嘘つきパラドックス」は、「嘘つき」とは何かがはっきりしないからこそ「パラドックス」なのである。これらがはっきり定義された暁には、「嘘つきパラドックス」は単なる「背理法」や「間違った推論」に化ける。このようにパラドックスに適切な解釈を与えて「背理法」や「間違った推論」に変える事を、パラドックスを解消するという。 数学は矛盾を含まないよう注意深く設計されており、パラドックスの起こる命題はうまく避けたり、あるいはパラドックスを解消した上で取り込んでしまったりしている。従って昔はパラドックスを内包してしまっていた集合や無限のような対象も現在では取り扱う事ができる。 なお、上で説明したようなパラドックスと違い、 正しい仮定と正しい推論から正しい結論を導いたにも拘らず、結論が直観に反する ものも「パラドックス」と呼ばれる。 これは擬似パラドックスと呼ばれ、前述した「真の」パラドックスとは別物である。例えば誕生日のパラドックスは擬似パラドックスとして知られる。これは「23人のクラスの中に誕生日が同じである2人がいる確率は50%以上」というもので、数学的には正しい事実だが、多くの人は50%よりもずっと低い確率を想像する。他にもヘンペルのカラス、バナッハ・タルスキの逆理などが擬似パラドックスとして知られる。 一方、 正しそうに見えた仮定や推論が実は間違っていた 場合は単なる「勘違い」である。なお、(実は間違っている)仮定「Aではない」と正しい推論から矛盾した結論を得るのは背理法と呼ばれ、Aという結論を得る為に数学でよく使われる論法である。特殊な場合として、(公理以外に)何も仮定を置いていないにもかかわらず、正しい推論から矛盾した結論を得たとすると、これは「数学自身が矛盾を含んでいた」事になってしまうが、そのような事はないと予想されている。
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