抽象絵画の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 07:00 UTC 版)
抽象絵画の源流は、主として「ドイツ表現主義」からと「キュビスム」からの2つの流れがある。 ドイツ表現主義からの流れは、カンディンスキーやフランツ・マルクなどの作品にあり、パウル・クレーの一部の作品も含めることができるかもしれない。カンディンスキーやマルクの作品は、抽象的でありつつ、有機的な形態を持っていたことに特徴がある。 キュビスムからの流れはパリの美術運動「オルフィスム」からはじまり、ドローネー、クプカ、フランシス・ピカビア( 1879年 - 1953年)などが抽象的な絵画を描いた。そしてさらにオランダのピート・モンドリアンら「デ・ステイル」のメンバーへ流れ、ロシア・ソビエトでは、抽象美術運動「レイヨニスム」に始まり「ロシア・アヴァンギャルド」の美術家であるミハイル・ラリオーノフ、マレーヴィチ、ウラジーミル・タトリンらなどへ移る。そして流れは戦間期のヨーロッパにおける「1930年代の抽象絵画運動」へ結集する。これらは、モンドリアンらを典型とする幾何学的な形態表現を特徴としている(オルフィスムでは、そこまでは至らず)。 もっともこの二つの流れは厳密に独立していたわけではなく、互いに影響を与え合い、時には合流することもあった。例としてはドローネーがカンディンスキーをはじめとする青騎士のメンバーと交流を持っていたこと、またクレーがパリでドローネーと会い彼の美術エッセイを独訳したこと、バウハウスはカンディンスキーやクレーが参加する一方でマレーヴィチらロシア・アヴァンギャルドのメンバーやデ・ステイルのテオ・ファン・ドースブルフらとも交流をもっていたことなどが挙げられる。1930年代の抽象絵画運動である「アプストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造)」には、カンディンスキーとモンドリアンがそれぞれ加わっていた。 これらの作家のうち、第二次世界大戦のナチス政権を避けた多くの者がアメリカに亡命・移住した。これが、戦後のアメリカにおける美術の繁栄へとつながっていく。 なお、戦後の抽象絵画は、それまでの幾何学的な抽象に対して新しい潮流としてアメリカの「抽象表現主義」とヨーロッパの「アンフォルメル」が登場し、それらから派生した表現が多種多様の展開を見せた。
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