戦時における拿捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 09:59 UTC 版)
戦時において、交戦国が敵国を利する船舶を拿捕する行為は、古より行われていた。どのような船舶や貨物を拿捕可能とするかについて、時代によりいくつもの解釈があったが、1856年のパリ宣言により、戦時禁制品以外の船舶や貨物は拿捕できないという原則が、各国によって受け入れられた。 戦時禁制品に関する規定は1909年のロンドン宣言によって細かく定められている。このロンドン宣言は、批准による効力こそ発揮されていないが、主要海洋国家10カ国が署名しており、慣習法の成文化とも言える重要なものである。当該船舶は前述の戦時禁制品を運んでいる場合か、一方の交戦国の軍艦に護送されている場合、他方の交戦国に対する敵対行為とみなされ拿捕の対象となる。規定の詳細はパリ宣言の記事に譲る。 拿捕された船舶は拿捕国の捕獲審検所に送付され、拿捕が正当であったかの審議を受けるが、拿捕国の国内に捕獲審検所が設置されていることには疑問の声もあり、18世紀半ばから国際捕獲審検所を設置しようとする主張があった。1907年のハーグ平和会議で、国際捕獲審検所の設置について条約が作成されたが、批准・効力発生には至っていない。 また、交戦中の戦闘艦艇が相手国に降伏する場合、その戦闘艦艇は拿捕されることがある。 日本では、太平洋戦争開始直後の1941年12月9日、東京に高等捕獲審検所、横須賀および佐世保に捕獲審検所を設置することが閣議決定された。
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