戦前・戦時中に立地していたもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 09:58 UTC 版)
「大手町 (広島市)」の記事における「戦前・戦時中に立地していたもの」の解説
久保刀剣舗 - 刀剣商、久保英寛。刀剣、軍刀、指揮刀、付属品一式、研白鞘(製)。大手町一丁目。 広島郵便局 - 原爆で壊滅後に基町に移転。 横町勧商場 広島商工会議所 - 1936年に基町に移転。 芸備日日新聞社本社 - 1941年に呉新聞と合併。 中国新聞社本社 - 1926年に上流川町(現・中区胡町)に移転。 広島瓦斯本社 - 1919年の設立直後に材木町から移転。社屋は現在の大手町第一公園の敷地に所在していた。1917年〜1942年、社名を「広島瓦斯電軌株式会社」と変更。原爆で壊滅(この際、山口吾一社長を初めとする多くの社員が犠牲となった)したのち、井口村(現・西区井口)の広島実践高等女学校に仮移転。その後若干の変遷を経て、本店・広島工場の所在地である皆実町に移転し現在に至っている。 広島電燈本社 広島県農業会広島支所 - もともと広島県農工銀行本店として建てられたが、1931年に同行が上流川町に移転すると広島県信用購買組合連合会(その後「広島県農業会」に改称)が入居したが、1942年に新たな事務所が国泰寺町に建てられたため、その後は広島支所として利用された。原爆により壊滅した。跡地には1978年に「広島県農業会原爆物故者慰霊碑」が建立されている。 広島県産業奨励館 - 1915年「広島県物産陳列館」として開所。その後、県産業奨励館と改称され、美術展が開催されるなど市民文化の拠点であったが、原爆により外郭の廃墟を残し壊滅した。現在は原爆ドームとして廃墟のまま保存されている。 大手町小学校・大手町国民学校 - 現在のNTTドコモ広島大手町ビルの場所に存在した。原爆投下で校舎は全壊・全焼し、児童40名と教職員2名が犠牲になった。原爆投下後、再開されることはなく廃校となった。1985年、跡地に慰霊碑が建立された。
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