戦争の消滅に関する予言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 07:03 UTC 版)
「マルクス主義批判」の記事における「戦争の消滅に関する予言」の解説
マルクスは歴史上の全ての闘争は階級闘争であると主張する。レーニンは共産主義が普及したら階級闘争はなくなり、世界から戦争もなくなると主張したが、戦争原因は経済的合理性には還元できない。もしそうなら、世界大戦のように戦勝国も敗戦国も大被害を受けるほど戦争が拡大することはなかったはずである。首都が瓦礫になるまで徹底抗戦するなどということは、どう考えても不合理である。また、もし国民が餓死寸前であり、貧困にあえいでいたら、近代的な軍備を整えて戦争を起こすことすら不可能なはずである。逆説的な言い方だが、戦争は経済的な余裕があるからこそ実行することができるのである。 フランシス・フクヤマは戦争は精神的な気概、優越願望の衝突によって起こると主張する。例えば、動物の世界では同種同士では住み分けを行い、争いは回避されるようなシステムになっている。ナワバリ争いで闘うこともあるが、負けた方は致命傷を受ける前にすごすごと退散し、勝った方はナワバリを維持できたことに満足し、わざわざ追い討ちをかけたりはしない。同種同士で殺し合いまでエスカレートすることはめったになく、戦争は気概を持った人間に特有の行為である。侵略的な国王が自国で自給自足できるだけの生産力があるのにもかかわらず、巨費を投じて他国を武力侵略するのは、彼が自分の力を誇示したいという名誉欲、野心に駆られたからだと考えたほうが合理的である。また、動物に自己防衛という概念はあるが、報復や復讐と言う概念はない。生存効率や経済的合理性を無視して、仇討ちや復讐を実行するのは人間だけである。 ジョルジュ・バタイユは、人間には経済的合理性では説明できない破壊衝動が存在することを指摘し、それを蕩尽、あるいは過剰なる太陽エネルギーと呼んでいる。
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