戦争の状態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 04:52 UTC 版)
紀元前421年にアテナイとスパルタはペロポネソス戦争を終結させるためにニキアスの和約を結び、紀元前415年においても建前上は平和が保たれていた。しかしその講和条件は一度たりとも実行されたことはなかった。スパルタは条約で規定されたアンフィポリスのアテナイへの引渡しを実行せず、アテナイもピュロスを保持したままであった。さらに紀元前418年にはマンティネイアの戦いでアテナイとスパルタは衝突した。アテナイはペロポネソス半島に反スパルタ同盟を設立しようと、アルゴリス、マンティネイア(en)および他のペロポネソス半島都市を支援した。この試みは、アテナイの貴族アルキビアデスが主導したものであり、もし成功すればペロポネソス同盟に対するスパルタの支配を打開できるはずであった。この企ては失敗したものの、アルキビアデスは紀元前417年春には将軍に選出されている。アテナイの外交政策は、ニキアスを中心とする「和平派(親スパルタ派)」とアルキピアデスを中心とする「戦争派」に分断されていた。
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