戦中〜戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/11 13:41 UTC 版)
大戦期 社内の地位を確立したジークフリートは、先進的な機体の設計にも携わるようになる。大戦前にチーフデザイナーとして従事した試作機He100は、670km/hという当時としては驚異的な速度を記録した。ジェット機やロケット機開発にも関わり、He178、He280、He162、He176などがある。しかし採用競争でメッサーシュミット社に敗れる場合が多く、野心作の域を出なかった。ほか、大型機では、He177、He219などが制式採用されている。 戦後 戦後ジークフリートは、ベルリンで義父の経営するカーショップで働いていたが、1948年にソビエト連邦のエージェントに誘拐・連行されて、同国の航空機設計の協力を強いられた。これによりジークフリートがソビエトのMiG-15戦闘機の開発に携わったという、冷戦時代の都市伝説が生まれたが、本人は常にこれを否定していたエピソードがある。 1952年、東ドイツに帰国。1年後には西ドイツに移り、再びハインケル社で働き始めた。彼はそこで世界初の超音速V/STOL機のEWR VJ 101とV/STOL輸送機VC 400の開発に携わった。両機ともに試作の段階までで量産には至らなかった。 1969年6月19日、ジークフリートは西ベルリンで死去。
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