成田空港の今後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 20:01 UTC 版)
2009年(平成21年)10月13日、鳩山政権の国土交通大臣前原誠司は、定例記者会見にて「日本のハブ空港は、仁川国際空港である。これを日本に取り戻さないといけない」と発言し、東アジアで高まる国際航空路線の獲得競争に対抗するため、日本国政府として今後は羽田空港に重点を置き、同空港のハブ空港化を進めていく方針を表明した。これにより、従来までの「国内線は羽田・国際線は成田」という棲み分けが見直されることとなり、地元自治体・政治家・企業関係者などに波紋を与えた。しかし、翌日になって前原大臣は千葉県知事森田健作と対談し、従来通り羽田・成田の運用を基本的には崩さない趣旨を伝えた。 地元産業界からの強い要望もあり、NAAはB滑走路と第2旅客ターミナルビル地区を結ぶ第三誘導路の完成と、B滑走路をボーイング747やエアバスA380の大型機発着に問題がなくなる、3,500メートル以上に延伸することを検討した。 2009年(平成21年)12月12日、国土交通省は、アメリカ・ワシントンD.C.で開かれていた日米航空交渉で、『航空自由化(オープンスカイ)協定』で合意したと発表。成田・羽田の両空港については発着便数に余裕のない混雑空港として、これまで通り政府間の協議で便数を決定するとし、2010年3月に年2万回分の国際便が増枠される成田空港については、現在約3割のシェアを持つアメリカ発着枠の削減を目指す方向で日米が一致した。
※この「成田空港の今後」の解説は、「成田国際空港」の解説の一部です。
「成田空港の今後」を含む「成田国際空港」の記事については、「成田国際空港」の概要を参照ください。
- 成田空港の今後のページへのリンク