成田用水開削前の下総台地での農作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 01:50 UTC 版)
「成田用水」の記事における「成田用水開削前の下総台地での農作」の解説
千葉県北部を跨る下総台地は気候が温暖であるが、地下水位が低く水源に乏しいうえに赤土と呼ばれる透水性が高い関東ロームをはじめとする火山灰土が堆積している洪積台地である。一帯は周期的な干ばつに見舞われてきており、冬から春にかけての乾燥期には赤風と呼ばれる砂嵐が吹き荒れ、作物の苗や肥料が土壌ごと飛ばされ跡形も残らなくなるような土地であった。その為、元来台地上の土地は農作物を育てる場所としては限定的な使用しかできなかった。戦後になると化学肥料が普及し、地表に広く分布するリン酸分の乏しい黒ボク土でも土壌改良が可能になったことで、下総台地でも多様な農作物を安定的に生産できる素地が出てきたが、農業用水の問題は依然として残されていた。 また、下総台地の縁辺部では、縄文海進期の海蝕や河川による侵蝕により台地が削られて形成された谷地が各所にあり、そこでは古くから谷津田と呼ばれる牧歌的な水田で入会地を用いた自給自足的な農業が営まれていた。しかし、谷津田は年間を通して土壌を乾かせない強湿田であり、人間の腰や膝の位置までが浸かるほど水が溜まるため、近代に入り農業技術が発達し入会地等の利点が薄れると、水管理や大型農業機械の導入ができない谷津田は相対的に農地としての生産性が低くなっていった。
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