循環論法の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 03:50 UTC 版)
まず分かりやすい例から挙げると、「『ハムレット』は名作である。なぜなら『ハムレット』は素晴らしい作品だからだ」といった言明は循環論法である。また、日本国憲法が日本の法体系における最高法規であるとする根拠が、日本国憲法第10章に記載されている事例も循環論法である。 定義における循環論法の例を挙げる。例えば、《知識》(知られていること)とは何か? に関して、古典的な認識論では「知識とは、正当づけられた真なる信念である」と定義されていたことはよく知られている(この定義自体は特には問題はない。)だが今、知識の定義として、この「正当づけられた真なる信念」を採用した状態で、「正当づけられた」という意味あるいは定義は何ですか?と問われた場合に、もしも「“正当づけられた” というのは証明や証拠が知られていることだ」と答えてしまうと、この説明は循環論法に陥ってしまっていることになる。 「コーランこそがものごとの正しさを決定する。なぜそうなのかというとそれはアラーが决めたからである。なぜアラーがそう决めたとわかるのか、というとそれはコーランに書いてあるから(コーランが正しいから)である。」といった論証がイスラム教で行われることがあるが、こうした論法もまた循環論法である。文章を書き換えると、「コーランが正しい」の理由が「アラーの決定」で、「アラーの決定」の理由が「コーランが正しい」となり、循環論法であることが分かりやすくなる。 同様に「神の言葉であるものは真である。聖書に書かれているのは神の言葉である。(なぜならその書には、それが神の言葉だとして書かれているから)」という考え方は循環論法の形を持つ。 経済学関連では、しばしば様々な説や理論が循環論法に陥っている、と指摘されている。例えば循環論法に陥っていた有名な事例として、マルクスの主張した「労働価値説」がある。この説が循環論法に陥っているという問題点は、ベーム=バヴェルク(1851-1914)によって指摘された。具体的に言うと、マルクスは『資本論』の第1巻で『商品の価格は投下労働量で定まる』と主張していたのだが、同書の第3巻1 - 3篇では『商品価格は商品の生産コストである「費用価格」に「平均利潤」を加えた「生産価格」で決まる』(結局、商品の価格は市場の需給で決まる)と主張しており、循環論法に陥っていた。ベーム=バヴェルクは単純労働と専門的労働の双方に必要とされる平均労働時間と商品価値がどのような関係にあるかを研究していたのだが、その中で、マルクスの主張した労働価値説が循環論法に陥っていることに気付き、論文「マルクスとその体系の終結」においてそれを指摘したのであった。 また ケインズの利子論について「将来における利子率の上昇や低下の予想が現在の利子率を決めるという循環論法に陥っている可能性がある」といったことをロバートソンは述べた。 グローバル経済でドルが基軸通貨として使われていることに関して、「人々がドルを貿易などに使うのは、ドルで米国のものを買うためではなく、“取引相手がドルなら受け取るから”という理由からであり、“他国がドルを基軸として使うから、自国もドルを基軸として使う”という循環論法によっている」と言われることもある。
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