征夷大将軍説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 11:39 UTC 版)
根拠 晴豊が『晴豊公記』で「将軍になさるべき」と書いていること 立花京子、小和田哲男などが賛同している。 また、円堂晃は著書で、毛利輝元ら毛利氏が鞆に亡命してきた足利義昭を擁して大義名分を持ち、織田氏との決戦を前にしてもよくまとまっていたことから、信長はこの状況を打破するため、自身の征夷大将軍への任官および義昭の将軍解任を朝廷に求めていた、と主張している。 一方、三職推任問題を直接扱った論考ではないが、この当時の征夷大将軍は足利氏の家職であり、「足利氏(この場合は足利義昭またはその子弟)以外の将軍はありえない」という認識が社会に定着していたことを朝廷が一貫して足利義昭の将軍解任に踏み切らなかった理由と捉え、たとえ信長が将軍に就任しても反信長勢力がこれを認めず義昭を将軍として認め続ければ意味がない(明応の政変で将軍を解任された足利義稙は彼を支持する大名からは将軍として認められ続け、遂には上洛・復権を果たしている)以上、信長が将軍就任を希望するメリットは乏しいとする木下昌規の指摘がある。
※この「征夷大将軍説」の解説は、「三職推任問題」の解説の一部です。
「征夷大将軍説」を含む「三職推任問題」の記事については、「三職推任問題」の概要を参照ください。
- 征夷大将軍説のページへのリンク